土偶は女神か? 宇宙人か?―日本人の美と祈りの原点
そもそも土偶とは何か? 宇宙考古学を揺るがした土偶に秘められた学説。
■縄文時代は終わらない
『一個人 2019年8月号』の原稿にも書いたが、土偶は1万数千年続いた縄文時代を通して作られ続けた。これだけ長い間作られ続けたものはほかにない。
われわれの身の回りの道具類はせいぜい数百年、この原稿を書いているPCに至っては数十年の歴史しかない。この点からいっても土偶はわれわれの想像を超える存在なのである。
歴史が長いだけあって大きさも形もさまざまだ。共通点といったら「土で作られた人の似姿」ぐらいなものだろう。いや、土偶の中にはおにぎりみたいな三角形のものあり、この定義でさえ適用できるか怪しい。
したがって、土偶を一つの説でくくるのは無理だと考えるのが妥当ではないかと思う。豊穣を祈るために用いられたものもあれば、病気平癒や呪いに使われたものもあったのではないだろうか? 中には土偶職人が娘のために作った愛玩像もあったかもしれない。
1万数千年の歴史をもつ土偶も弥生時代の訪れとともに姿を消した……わけではない。
弥生時代にも土偶は作られていた。縄文後期の一時期に西日本で作られた分銅形(ふんどうがた)土偶(江戸時代に両替商が使っていた分銅という計量用のおもりに似ていることからこう呼ばれる)が、弥生時代中期の中国地方でリバイバルするという奇妙な事態も起こった。
それだけではない。縄文的なものは潜在意識のように日本文化の底深くにひそみ続け、時折ちらりちらりと姿を現してきた。
明日香村に点在する猿石などの謎の石造物もそうしたものの一つであろうし、岡本太郎が驚嘆したという長野県下諏訪町のもその一つだ。
万治の石仏は縦横4メートル弱、高さ2メートル60センチの安山岩の大岩の上に仏頭を載せた〝石仏〟であるが、離れたところから見るとスフィンクスにも化石化した巨大な土偶にも見える。
おそらく今も日本のどこかに土偶的なものが出現しているのではないだろうか。
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『一個人 2019年8月号』
「日本」の国号や「天皇」の称号は、7〜8世紀に成立したとされる。 それ以前の我が国の姿は、海外の同時代史料や古墳などの遺跡・遺物から推測するしかない。 そのためにさまざまな論争を呼ぶのだが、一方で、誰もが自由に想像の翼を広げられるのも日本古代史の魅力だ。 神秘のベールに包まれた太古の世界へ、時間旅行に出かけよう!